2017年 2月17日(金)
今日と明日はレンタカーを借りて3人で沖縄見物です。
9時におもろまち駅で待ち合わせて、DFS Tギャラリア内のレンタカー会社に行きます。
受付は、Tギャラリアの正面入口にありました。
受付後、Tギャラリア内の海外高級ブランド店を通り抜けて、1Fに降ります。
1Fのお土産売り場に行って、変貌振りに驚きました。
昔来たときは、日本人向けの品揃えでしたが、今回は、外国人(中国人)向けになっていました。
われわれ3人がぶらついていても、店員は見向きもしません。
そして、観光地お約束の守礼の門を模した撮影用大道具の隣には、スマホ用の自撮り棒まで完備。
ただ、外国人観光客の消費傾向も「モノからコト」に変わりつつあるので、このお店もさらに変貌を遂げるかも知れません。
ダーウィンじゃないですが、「変化し、環境に適応したものだけが生き残る」ですからね。
久しぶりの運転でしたが、フィットは快調です。
レンタカーのナンバーは「わ」でしたが、最近は「れ」になったようです。
まずは、嘉数(かかず) 高台公園に行きます。
ヒカン桜が咲いていました。
こちらの見所は、普天間飛行場の「オスプレイ」と「トーチカ」です。
展望台に上ると普天間飛行場は一望の下です。
オスプレイは滑走路脇にいて、飛び立つ気配はありませんでした。
1945年4月1日、写真左上の宜野湾の上の嘉手納あたりから米軍が上陸。
この地での戦闘については「沖縄戦史」→「嘉数高地の戦闘」に詳しい。
トーチカは、沖縄戦の激しい攻防の後を残しています。
銃眼が二つありますが、左の銃眼の上部が破壊されたとき、中にいた兵士はどうなったのでしょうか。
トーチカの裏側の入口です。這わないと入れません。
その後、「陣地壕」の跡を見に行きました。
「トーチカ」ともつながっていたようです。
その後「南風原文化センター」に行きます。
こちらは初めて来ました。
おそらく、Mさんが「来たい」と言わなければ来ることはなかったでしょう。
こちらでは洞窟内にあった陸軍病院を再現しています。
資料によれば、元は那覇市内にあった陸軍病院が1944年10月の空襲で焼失。
そこで、南風原国民学校を陸軍病院に転用。
その後、約30の横穴壕を掘り、米軍の艦砲射撃が始まった1945年3月下旬に病院が各壕へ移転。
「洞窟内の陸軍病院」となる。
4月1日の米軍上陸後の外傷患者の激増で、外科→第一外科、内科→第二外科、精神科→第三外科に改組。
5月下旬陸軍病院に撤退命令が出された。
その際、自力で移動できない患者には、青酸カリ入りミルクが飲まされたとのこと。
その中の一人が生き残って証言しているVTRも流しています。
まことに凄惨な状況です。
天皇を神格化した「御真影の館」も初めて見ました。
宗教に関することでこのようなことをすると、民心把握は難しくなります。おそらく朝鮮半島でも似たようなことをして反発をくらったのでしょう。
戦争末期には、日本軍も混乱の極みとなり、民間人を殺した例もあります。
学童疎開の解説の柱に「ヤーサン ヒーサン シカラーサン」の掲示がありました。
「ひもじいよ、寒いよ、寂しいよ」という意味で、学童疎開中の生徒達の過酷な生活を表しています。
外にある「学童集団疎開記念碑」の裏面にも刻まれているとのことです。
学童集団疎開については、以下のサイトに詳細が記載されています。
南風原の児童生徒達は、撃沈された「対馬丸」とは別の船だったため、なんとか九州に疎開できたようです。
「沖縄タイムス」より「地に刻む沖縄戦 学童疎開」
北谷町のサイト「北玉小学校(旧国民学校)の学童疎開」
「西日本新聞」より「戦後70年 証言をつなぐ Vol.9」
展示されている資料のほとんどが手にとって見ることができるのも、他の資料館等ではできない優れたところです。
Mさんに「沖縄に行くならここに行くべきだ」とアドバイスされた「Mさんの知人」に大感謝です。
次は糸満市摩文仁の「平和祈念公園」に向かいます。
昼も過ぎて、われわれも「ヤーサン」になったので、途中の八重瀬にある「ニシムイそば」に寄ります。
こちらは、店主の趣味か美術品の展示即売コーナーがあります。
店名も「西森(ニシムイ)美術」となっています。
ちょうど昼時だったため、混んでいて、最初2人だけが座れました。
沖縄そば800円。塩味でスープがおいしい。
ソーキもおいしいくて、平打ちの麺もコシがあっていい感じです。
ぜんざい付きで、食べ終わる頃にコーヒーが出てきます。
この店は、2月一杯でここを閉め、7月から那覇の古島で新開店するとのことで、来年も安里近辺に滞在したら、歩いて行けそうなので楽しみです。
「平和祈念公園」は、沖縄戦終焉の地にできた公園で、沖縄守備隊32軍司令官の自決壕もあります。
中は広大なので、電動カート(100円/人) に乗って回りました。
運転のおじさんがいろいろと説明してくれます。
おじさんのおかげで「嘉数高台公園」で見た、ねじれた枝のふしぎな木は「でいご」と判明しました。
「摩文仁の丘」には、各県の慰霊の塔があります。
「平和の礎(いしずえ)」には、沖縄戦の全戦没者24万人の氏名が刻まれています。
扇形に並んだ黒い石には戦没者の名前が刻まれています。
「平和祈念資料館」も扇形に並んでいます。
新しくて、赤い屋根がきれいなので、リゾートホテルのようにも見えます。
「平和祈念公園」のあとは、「道の駅いとまん」で本土からの滞在者は、野菜の「爆買い」をしました。
野菜だけで、2,554円のお買い上げです。
その後那覇に向かいましたが、渋滞に巻き込まれて大変でした。